十勝いけだ屋ストーリー

第 8 話

「楽しいことはリスクを越えた先にある」。 持ち前の話術を活かすフロントランナー
(有)細川経営ビジネス
細川 征史
都会への憧れ、
地元の景色に寄せる思い
子どものころ、ワイン城のふもとで毎日遊んでいたという細川征史さんは、にぎやかだった池田の街を覚えている。銭湯があった、商店もたくさんあった。とにかく活気にあふれていた。ピーク時の人口は1万8千人。今の2倍以上である。町の営みを支えていたのは国鉄の機関区(列車の整備や保守を担う)で、細川さんの父も国鉄マンだった。街の様子が変わったのは1980年代後半。旧国鉄の民営化に伴い、池田機関区は解散してしまう。細川さんの幼なじみたちは東京や横浜、千葉へと引っ越してしまった。彼らの父親がJRへ採用されたり、国鉄清算事業団に編入したからだ。だが、細川家は池田での暮らしを選んだ。「幼なじみたちのように、都会に行きたい」。にぎやかさを失った池田の街を横目に、細川さんは都会への憧れを強くしていった。

帯広工業高校を卒業後、選んだのはもちろん関東の大学。だが実際に辿り着いた先にあったのは、田園風景だった。「春日部市の大学だったので、池袋や新宿に出るには2時間もかかる。都会とはほど遠い場所でした(笑)」。ショックを受けながらも大学生活を送っていたが、早々にある違和感を抱くようになる。「日の出も日の入りも、住宅の間からなんです。十勝にいたころは、ワイン城のほうから太陽が昇り、日高山脈に夕陽が落ちる。その景色が忘れられなかった」。就職先は十勝に本社を置く上場企業に決めた。
細川さんといえば、巧みな話術。ポジティブで素直で一生懸命だから、自然と周りの人間を巻き込むことができると思う。その能力は学生時代から発揮されていたらしく、工学部だったのに営業職に就いたのは、アルバイト先の常連さんに薦められたからだとか。その見立ては大当たりで、入社した会社ではグングンと頭角を現した。入社早々、社長室訪問のときに『僕は将来ここに座れますか?』と聞くなど、怖いもの知らずぶりは当時から健在。メイドイン十勝の社長になることが目標のひとつだった。

人生の転機は父親からのアドバイスがきっかけだった。国鉄を退社後、社労士や行政書士として事務所を開業していた父親が「保険部門をやめるから、お前やってみないか」と持ちかけてきたのだ。ちょうど結婚、子育てを視野に入れており、環境の良い十勝で暮らせること、商売をする父の背中を思い出し、保険代理業として開業することを決めたという。

現在は本業の保険業にとどまらず、さまざまなところに顔を出し始めている細川さん。十勝いけだ屋の発起人でもある。「田舎だからこそチャンスがある。6800人しか住んでないのだから、ワイン城の上から『おーい!』と言えば届くから」。自社では2017年に1名、2018年に1名を採用し、地域の雇用にも貢献できるようになってきた。「楽しいことはリスクを越えた先にある」。まだ30代、活躍の場は広がるばかりだ。

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