十勝いけだ屋ストーリー

第 4 話

センスを形にして、やり切る紅一点。 東京と札幌で培った経験を惜しみなく。
Cafe&Life akao
赤松 好子
赤松さんの心からの笑い声は、
十勝いけだ屋の場を和ませる。

リノベーションした古民家のカフェ。セレクト雑貨や自家栽培の野菜たちが同じ場所に共存している。ドライフラワーや照明などの装飾もバランスが良い。オープンして3年、池田町民はもちろん、今や帯広や周辺町村からも客が訪れる店となったCafe&Life akao(あかお)。センスの良さが光る店を営む赤松好子さんは、十勝いけだ屋の紅一点でもある。彼女のセンスは東京、札幌時代に培った経験によるものが大きい。

池田町にある赤松さんの実家は、小麦やビート、豆類を生産する農家だった。幼い頃は豆積みの作業を手伝い、バトミントン部で一生懸命練習をする学生時代をすごした。池田高校を卒業するまでは、町内で青春時代を過ごした。手先が器用で裁縫が好きだった赤松さんは、札幌の服飾専門学校に進学。以降はファッションの道を突き進むこととなる。「当時はぶっ飛んでいましたね。ピアスをいくつも開けて、髪はオレンジやピンクのときもありました(笑)」。帰省するたびに変わる容貌に家族は驚いたが、不良という訳ではなく学業はいたって順調。デザインした作品で賞を貰ったこともあるという。

環境が変わっても、彼女の真面目な一面は変わらなかった。専門学校卒業後は東京へ。「自分のブランドを持つ」という夢を叶えるため、3年ほどパタンナー(デザイナーの画をもとに型紙を作成する仕事)としてフリーで働いた。しかし当時、東京にはすでにファストファッションの波が起きていた。「私は量産品を作りたいわけではない。先は長くない」。副業としてカフェでアルバイトをしていた赤松さん。中目黒のニューヨークスタイルのオープンカフェで、初めてベーグルとエスプレッソに出合い、魅了されていった。全てが新鮮で、スタイリッシュな店での経験。気がつくと7年、東京のカフェで夢中で働いたという。

東京から離れたのは2009年のこと。「東京はお腹いっぱいになってしまった」と札幌へ戻り、経験を活かしてカフェでの仕事を探した。「せっかく働くのなら好きな店で働きたい」と考えていた赤松さん。札幌のカフェ好きでは知らない人はいないであろう有名店で、なんとか働きたいと思っていたとき、偶然にもそのカフェの新店オープンの話が舞い込んできた。「1からお店を作っていくことを経験させてもらい、ものすごく大変でしたが得たものは多かったです」。店を作っていく過程で、言葉では「なんとも説明のつかない感覚」を養うことができた。この経験は、池田でakaoを開店する際に大いに役立つこととなる。

34歳のとき、池田へUターン。自分の店を開業するためであった。「町のことをよく知ってから起業するのが良い」という助言をもとに、最初の1年は池田町観光協会で働くことに。当時の観光協会は、イベントの仕事が多かった。赤松さんは町の宣伝をしたり、特産品の販売をしているうちに、知り合いや横のつながりを得ることができたそう。カフェにぴったりな雰囲気の良い中古住宅を発見すると、店のイメージはどんどん形になっていった。リノベーションを始めてから半年後にはオープンを迎えたという。

十勝いけだ屋では、最新の情報提供や女性視点での助言を心がけている。「この人たちとなら楽しくできるだろうと思った」。その言葉通り、定例会議では赤松さんの愉快な笑い声が場を明るくしている。センスを形にする力とやり切る力、そして忘れてはならない明るさ。今日も十勝いけだ屋に赤松さんの笑顔が咲いている。

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