十勝いけだ屋ストーリー

第 5 話

地元生産者の素材を活かす 極上のアイデア料理人。
寿楽の息子
田中 健二
死にかけたワインを克服して
ソムリエ資格を取得。
自ら道を選んで人生を切り開き、池田に戻ってきた十勝いけだ屋のメンバーたち。対照的に田中健二さんは高校在学中に運命が定まり、これまで池田からほとんど出ずに居酒屋を経営してきた。研究熱心で勉強家な田中さんは、いけだ屋の素材を活かす極上の腕を持っている。

約40年前、田中さんの父親は池田町へとやって来た。寿司職人として町内でオープンさせたのは「味の寿楽」という飲食店。寿司をメインに定食を提供していた。田中さん自身は4人兄弟の3番目。店は繁盛していて、田中さんは小学校のときから店を手伝っていたとか。16歳のとき、手狭になった店を思い切って新築。「さあこれから頑張ろう」と家族が協力しなければ成り立たない忙しさの中、悲劇は急に訪れる。店の跡を継ぐ二代目だった長兄が新築オープンの半年後に急死してしまったのだ。「もう親父一人でやれるような店ではなかったから。高校に通っているときから寿司を握ってましたよ」。10年ローンを背負った新築の店舗を前に、次男坊である田中さんの人生は定まったのだった。

町の寿司屋というのは平成の時代に入ると衰退の一途を辿っていた。回転寿司の台頭と町の人口減少。田中さんは2008年に父親をガンで亡くしたのを機に、居酒屋の業態へと変革することを決めた。池田町はワインの町。田中さんは当時では珍しい「バル」の形態を知り、ワインを積極的に取り入れたいと考えたそう。店名の変更についても長い間悩んだが、父が作り上げた「寿楽」の名を残したかった。周囲のアドバイスもあって「寿楽の息子」という真っすぐだけど心に残る名称になった。

今やソムリエの資格を持つ居酒屋店主として有名な田中さんだが、ワインがまったく飲めない時期があったという。「十勝ワインを飲みすぎて死にかけたことがあって。2日間動けなくなったんですよ。それでワインが飲めなくなりました」。それでもワインを店で扱うからには、と克服。月2回、帯広市内のワインスクールに通ってソムリエになるための勉強をした。2割ほどという低い合格率のソムリエ試験に合格するには、世界中のワインを知り尽くす必要がある。田中さんは辞書以上に厚い参考書を読み込み、見事一発で合格を果たしたのだ。

田中さんは料理に対しても勉強家である。雑誌からアイデアを得たり、札幌や東京の飲食店をたびたび訪問する。「よく『どこで修業してきたの?』と聞かれますが、独学なんです。店以外では20代の頃に居酒屋チェーン店で1~2年働いたくらい」。町内の生産者の素材を扱うのもこだわり。十勝いけだ屋のメンバーとは、時には生産者と料理人、時にはお客さんと料理人いう形で付き合ってきた。

「最初、いけだ屋に誘われたときは正直あまり入りたくはなかった。(居酒屋と農家では)生活時間が全く違うから、会議にも参加できないし。でも町内にたくさんある飲食店の中から自分に声をかけてくれたから」。今では代表の細川さんに急かされながら、物販用の新商品を開発するなどいけだ屋の活動の中翼を担っている。メンバーの野菜といけだ牛や羊肉を盛り合わせたプレートは、池田町を訪れた人へのおもてなしに欠かせない。そしていけだ屋の飲み会はかならず、寿楽の息子で。

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