十勝いけだ屋ストーリー

第 3 話

十勝いけだ屋の「お兄さん」が作る 手間ひまかけた山わさび
𠮷田農場
𠮷田 岳大
「営業部長」の肩書きは伊達じゃない!
農業で活かすサラリーマン経験
「十勝いけだ屋のお兄さん」という愛称で呼びたくなる𠮷田岳大さん。その理由は、ひとりだけ40代で、腰を据えて皆を見守っている印象があるから。「タケちゃん」とメンバーに慕われて、フランクで親しみやすい𠮷田さん。彼の人生ストーリーを紐解いてみると、魅力的な人柄が見えてきた。

𠮷田さんが十勝いけだ屋で提供しているのは、山わさび。最初は「十勝で山わさび?」と疑問を抱いたが、昔は池田町に野生していたらしい。𠮷田さんにも、幼いころの記憶が残っていた。祖母と一緒に採りに行った野生の山わさび。旧ふるさと銀河線の線路沿いにたくさん生えていたのだという。「懐かしいし、地域のためになるから」。今では地域の山わさび生産組合の営業部長だ。

さて、どうして営業部長なのか。これには𠮷田さんの経歴が大きく関わってくる。池田町大森地区の長男として生まれた𠮷田さん。姉と妹との3兄弟。市街地からは少し離れ、同級生は一人もおらず複式学級で学んだ小学校時代。中学以降は「友達は100人作るんだよ」という親のアドバイスを元に、「𠮷田岳大」という人間の土台を作っていった。「たくさん友達を作るためには、観察力。この人は何が好き?どんなことに興味がある? 会話術は自然と身に付きましたね」。会話の糸口を見つけるコミュニケーション能力の高さは、就職後に開花することとなる。

札幌の大学を卒業して就職したのは、医療機器の会社。病院に医療機器を卸すのが主な仕事で、𠮷田さんは一人で数億円規模の売上を上げたこともあるとか。これが天職で、年上に可愛がられ、他の社員が苦手とするクライアントも難なく会話術で心を開いていった。そう、𠮷田さんは「営業」という肩書がよく似合うのだ。営業経験が豊富だった事実を知り、大きく納得。しかし7年の会社人生を経て、29歳のとき家業を継ぐために池田へ戻ってくることになる。

いざ農業を始めてみたら、高卒就農と比べて10年以上のブランクがあり、経験値の差は大きく感じた。そして親が師匠という自営業ならではの壁にもぶつかった。「親父は大黒柱で、なかなか自分の意見は通らない。『少しでも優位に立ちたい』と思って山わさびを始めたところもあります」。農家の親子関係というのは、実に難しい。どうやら農家の親父たちは背中で学んでほしいようだ。

山わさびの生産には当初は家族全員が反対した。マイナーだから使える農薬はほとんどないし、人間の手の管理がモノを言う山わさび。それでも𠮷田さんは反対を押し切って始めてしまう。地域で長年山わさびを生産してきた斎藤さんに栽培方法を教えてもらい、少しずつコツを掴んでいった。台風が3つ来て収穫できなかった年もあった。でも今は家族にも認められ、𠮷田農場の柱のひとつとなっている。

「うちの事務所に来てくれませんか?」。ある日、十勝いけだ屋の代表である細川征史さんからの電話がかかってきた。行ってみると「会社を作ろうと思うんです」という話だった。3人いる子どものPTA活動は忙しいし、農業だって手一杯。でも、十勝いけだ屋の「モノを売って利益を出すのではなく、地域の利益を生み出す」という方針には賛成だった。

𠮷田さんに期待されているのは、営業部長としての力。そう伝えると「でも僕、人見知りなんですよ」と意外な返答。もしかして、そんな会話も彼の手のひらの上なのだろうか…。奥深き最年長である。

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