第 7 話
美濃 志拓
年下のキーマン
1985年生まれの美濃さんは3兄弟の長男坊だ。家業は祖父の代から続く農業。幼少期の美濃農場は一般的な十勝の農家と同様に、小麦、じゃがいも、豆類、ビートなど畑作4品の輪作を主としていた。高校まで池田町で過ごし、大学は網走の東京農業大学へ。昔から心の中に「自分は後継者である」という思いがあったから、進路はすんなり決まった。大学在学中も長期休みには自然と手伝いをしていた。
美濃さんが大学に進んだ頃から、美濃農場の様子は変わり始めていた。それまで多くを占めていた畑作4品を徐々に減らし、玉ねぎの作付けを増やしていったのだ。北海道で玉ねぎと言えば、有名なのは北見。十勝でも近年増加傾向である。美濃さんは2008年、いち早く玉ねぎへシフト。メリットは植え付けから収穫まで、一貫して機械化できるので効率が上がること。じゃがいもの機械を転用できること。ただし年によって収量や価格が安定しないところは悩ましい点である。「最初の頃はかなり収穫できたんですけど、その後数年良くない期間がありました。連作障害ですね」。13年目を迎えても、やってみないとわからない部分がある。
美濃農場の特徴といえば、出荷先。市場や商社、名の知れた外食企業、個人まで。周囲の農家とは一線を画している。どのようにして営業開拓していったのか、と疑問を投げかけると「人づてで広がって、誰かの紹介で繋がっていきました」と美濃さんはクールに答える。また、2010年くらいから従業員を雇うようになった。24~5歳の若い世代を受け入れると、美濃さんの経営者としての意識は変わったという。「社長になったばかりの頃は、判子を押すのもげんなりしていたけれど、従業員が入って、彼らが働きやすい環境を整えようと社長らしくなってきた」。美濃農場のインスタグラムの運用は従業員のアイデアだ。
近所の農家の先輩である吉地さんの紹介で加入した十勝いけだ屋。「知らない人もいて、最初は乗り気ではなかった」と振り返るが、メンバーの熱さに触れて「やってみないとわからない」と気合が入った。十勝いけだ屋の期待の矛先は、美濃さんの所有するブドウ畑にも向かっている。荒地の畑を譲り受けてブドウを栽培し始めたが、「今ははっきり言って赤字部門」。池田町のシンボル、ブドウをどう活かすのか…。キーマンは、仲間とともに考えを巡らせている。
十勝いけだ屋の場を和ませる。